1.退屈よりも
大失敗を選びなさい
ココ・シャネルは「かけがいの人間でありたい」と常に考えました。多くの人が歩む既製品の様な道より、例え自分の選んだ道に先が見えなくとも一点物の人生を選びました。
2.醜さは許せるけど、
だらしなさは絶対に許せない
生まれつきの見た目や環境などは変えようがありません。ここで言うだらしないは、だらしない言葉、だらしない服装、だらしない生活などです。努力すれば改善できることなのに、しないことをココ・シャネルは軽蔑しました。
3.秩序にはうんざりする。
無秩序こそがラグジュアリー
秩序を守るとはルールを守ることであり、それはまた他人に足並みを合わせることでもありました。ココ・シャネルは他人から秩序を強いられることを嫌いました。秩序を一度忘れ、社会の固定概念を取り払うことで常に新しい発想とインスピレーションを沸かせました。
4.私は人を判断するのに、
お金の使い方で
見分けることにしている。
ココ・シャネルは「所有することは醜い。執着することはもっと醜い」と言っており、モノより人に投資しました。経済的に困っている芸術家に投資し、芸術活動が盛んだったパリをより盛り上げました。モノより人に投資した結果、ファッションデザイナーだけではなく、美の女王としてパリに君臨しました。
5.とにかく私は
スタッフの二倍働いた
ココ・シャネルの経営はワンマンであり、彼女の思い通りのモノができなければ許さないという体質の会社でした。それを嫌い辞めていくスタッフやモデルもたくさんいました。ただ、残ったスタッフやモデルは結果、彼女に従いました。なぜなら、ココ・シャネル自身が一番仕事をしていることを知っていたからです。
6.かけがえのない人間であるためには
人と違っていなければならない
ココ・シャネルの成功の理由は「人と違うことをする」ことに異常なまでに執着したからです。当時、黒の服は、葬儀の際にしか着られることがありませんでした。そんな中、ココ・シャネルはパーティーシーンで黒のドレスを愛用し、そして、流行させました。
7.私は自分で引いた道
をまっすぐに進む。
自分が勝手に選んだ道だからこそ、
その道の奴隷になる。
彼女は生涯、仕事に没頭し、「家族」や「子供」からはかけ離れた生活を送りました。「家族」と「子供」をもつ親しい友人に対して「私よりも幸福よ。私は一人ぼっち」と言ったこともあります。孤児院育ちの彼女には「家族」と「子供」は喉から手がでるほど欲しかったはずです。ただ、自分が成功することを自分自身が一番に信じ、自分の道を歩きました。
8.奇抜さはドレスではなく、
女性の中になくてはならない
女性はドレスに着られてしまうのではダメで、女性はドレスよりも重要であるべきだとココ・シャネルは考えました。あくまでドレスはその女性の表現の一部に過ぎないのです。ディオールなどの男性デザイナーが男性目線で女性を華やかに飾ることを嫌いました。シンプルであり、女性の立場から着やすい服であることを常に意識しました。
9.男が本当に女に贈り物をしたい
と思ったら結婚するものだ。
ココ・シャネルは生涯独身でした。結婚したい人はいた、しようと思ったこともあった。けれど、恋人の死や後継問題などで結婚には至らなかったのです。結果的には仕事に生き、結婚はできませんでしたが、本当に愛した人からのプロポーズを待ち望んで女性でした。
10.私はこうなりたいと思い、
その道を選び、
そして、その思いを遂げた
ココ・シャネルの時代はまだまだ女性が弱い立場であり、仕事においても男性中心の社会でした。ましてや、孤児院育ちの女の子がファッション業界のドンなにるなど誰も想像してはいなかったでしょう。ただ、ココ・シャネル本人だけはそれを強く願い、信じ、行動し、その地位と成功を手に入れたのです。